ABOUT

昭和精吾事務所とは

1984年、演劇実験室◎天井桟敷のマイクアジテーターであった昭和精吾が寺山作品を語り続けるために設立。
1999年の渋谷ジァン・ジァン閉館まで毎年、寺山作品を上演。以降はザムザ阿佐谷やシアターPOOや、ライブハウス・地方でも公演。
2015年、昭和精吾の急逝を受け、ともに17年活動してきた こもだまりイッキが音楽家・西邑卓哲を迎え、新体制で再始動。
岸田理生アバギャルドフェスティバルへの参加、音源・映像製作など新たな試みを展開。

2021年、梶原航を迎え、メンバーが4人となる。

作風

舞台装置もなく、声の力だけで情景を鮮明に想起させる語りは、その情報量の多さから「言語の洪水」と評される。
従来の寺山修司の言語世界をストイックに表現する語りの「詩劇」、こもだ主宰プロジェクト麻人楽とのコラボとして映像×音楽×身体×語りによる情報の洪水「幻想音楽劇」の二本柱で作品を発表。
岸田理生アバギャルドフェスティバルへの参加、音源・MV発表など、技術の継承のみにとどまらず、新機軸で精力的に活動。


昭和精吾 Seigo SHOWA

昭和精吾事務所 初代代表

俳優|プロデューサー|演出家

1941年12月14日 旧満州国生まれ


劇団青俳、東映を経て、1969年 演劇実験室◎天井桟敷に入団。
寺山修司の死後、昭和精吾事務所設立。単独で寺山修司の言語を声にし続けた。時に深く語り、時に叫ぶそのスタイルで、海外では「fanatic」と評された。

1969年「時代はサーカスの象にのって」で「孤独の叫び(アメリカよ)」をよみ、以降、ソロでのマイクアジテーションを数多く担当。渋谷公会堂『邪宗門』くらま天狗、講談社講堂『力石徹 告別式』弔辞などで知られる。寺山修司の映画『書を捨てよ町へ出よう』ではサッカー部の主将役(白のタートルネック)。1971「邪宗門」以降、俳優を休業していたが1981年8月「観客席」に出演。寺山の依頼で迎えに来たのは岸田理生。寺山修司逝去翌年の「時代はサーカスの象にのって’84」(パルコ劇場)には初演と同じ役で出演。

若くして奥羽企画というイベント集団を立ち上げライブを主催したり、永山則夫の手記「無知の涙」を元にした『捧ぐ!永山則夫への70行』(作:寺山修司)、花岡鉱山中国人強制労働事件を題材に滝平二郎の版画を背景に語る『花岡物語』(作・構成・演出・出演)などプロデューサーとしての手腕も。

2015年8月29日逝去。

個人サイト[昭和精吾 〜寺山修司の世界〜]
https://showaseigo.com/syowa


寺山修司 Shuji TERAYAMA

俳人|歌人|詩人|劇作家|演出家|脚本家|劇団代表|映画監督|小説家|エッセイスト|作詞家|写真家|競馬評論家|・・・

1935年12月10日 青森県大三沢市生まれ

翌年1月10日生まれとして役場に届けられる。
1967年、演劇実験室◎天井桟敷旗揚げ。
1983年5月4日逝去。


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